アトピー克服体験記 |
- 今井 厚樹さん(35歳)
喘息からアトピーに移行して病院を転々、 ステロイドの限界を感じてオムバスへ――。 そう聞けば、子どもの頃からの 長~いアトピー歴を想像してしまうのでは? でも、今井厚樹さんのアトピー歴は3年ほど。 喘息の発症も30代に入ってからでした。 アトピーを引き出す生活と克服への早道。 秘訣をギュッと凝縮したような体験を紹介します。 |
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今井 厚樹さん(35歳) | |
薬を断って3日後。全身を強い炎症が覆い、顔から首は粉を噴いたように皮膚が浮き上がっている。薬を使っているときからこの状態だった。離脱の本番はこれから。 |
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- 数年前、東京のある有名医大で大掛かりなセミナーが開催されました。壇上に並ぶのは皮膚科をはじめとするアレルギーの専門医たち。参加者はアトピーや喘息などのアレルギーに悩む患者とその家族です。大講堂を埋めた人々の中に、今井厚樹さんの姿がありました。
「何人目かの先生が、『私の手を見てください! 十数年もこの手でステロイドを患者さんに塗ってきました。私は何ともないですよ!』って。あれは迫力あった(笑)。それで信用し切っちゃったから、おかしいなと思ってもどんどん塗ったんですよ」
今井さんがセミナーに参加したのは喘息のため。最新の、正しい治療法を学ぼうと、新聞広告を見てはがきで応募したのです。
「宗教みたい」と笑うのは奥様の利恵さん。「20代の頃は花粉症ぐらいだったから、初めて発作を起こしたときはビックリしましたよ」。
利恵さんの運転で夜中に病院へ駆けつけると、即、入院。生まれて初めて喘息と診断されたとき、厚樹さんはすでに30代に入っていました。
営業マンとしてのキャリアは10年以上。朝7時半には家を出て、帰宅は毎晩遅く、睡眠時間は5時間程度という生活が当たり前でした。若さと体力を過信して、体に負担を溜め込む生活。それが喘息を引き出す結果につながったのでしょうか。
- 喘息からアトピーへ通院と薬づけの日々
- 「点滴とか吸入とか、次から次へといろんなことしてくれましたけど、いちいち説明はなし。とにかく、喘息の薬に副作用はないっていうのが医者の言い分なんだけど、半年ぐらい続けたら、ダーッと出ましたね」
アトピーは背中から始まりました。かゆみをともなったニキビのような発疹が出るようになり、皮膚科通いが加わります。セミナーで「ステロイド=安全」を刷り込まれていた厚樹さんは、出される薬に疑問を持ちませんでした。
「最初は赤いプツプツが多かったのが、塗り始めて何ヵ月もたつと、カサカサになってみたりドス黒くなってみたり、いろんな症状が出ましたね」
治療に対する疑問が膨らむと、「もっと良い医者」を求めて病院を転々。
「聞いても、場所に合った薬を出してるっていう説明ぐらい。『たくさん塗るな』『薬局で自分で買っていく人がいるけど、そういうのはダメだよ』とは言われましたけど。
喘息の医者は『喘息の薬に副作用はない』。皮膚科の医者は『それ(喘息の薬)しか原因が思い当たらないなら、それをやめてみるのも方法じゃないか』っていう言い方をする。だから、喘息の薬を少しずつやめていったわけですよ」
- ローションタイプを「整髪料代わりに」!?
- 喘息の薬をやめても、発作は起きませんでした。もしかして、皮膚科の薬が間接的に喘息の発作を抑えていたのでしょうか。皮膚科の処方はステロイドが中心です。軟膏で効果がなければステロイドを内服し、中にはローションタイプのステロイドを「整髪料代わりに」と出す医者も。
「そのうち夜まったく眠れなくなったから、眠れる薬も出してもらった。それも体が大きいから2錠のところが3錠になり…。それでも何とかなると思ってたね。医者に行って薬をもらってるわけだから」
病院でちゃんとした治療を受けている。言われた通り毎朝毎晩、欠かさず薬を塗っている。そのうち効果が出てくるはずだ。これが最新の、標準の、正しい治療法なのだから――。刷り込まれた「常識」が、行動の異常さに気づくことを阻んでいました。
「皮膚が落ちるから紺のブレザーが着れなくなって、グレーとか白っぽいスーツを買いに行ったり。もう、何をするにもアトピーに合わせてって感じ。かわいそうでしたよね。見た目にわかるぐらい、おかしかったから」と表情を曇らせる利恵さん。
営業マンは1日じゅう人に会うのが仕事。しかし、薬で何とか抑えているはずの症状を、周りの人から指摘されるようになっていました。「顔が違うね」「何だ? 真っ黒じゃないか」「大丈夫なのか」…。