あとぴナビ/スペシャルインタビュー |
取材・文/大石久恵 、撮影/橋詰芳房 |
PROFILE 2007年、車いすテニスの選手権で世界最高峰とされる全豪、全英、全米、ジャパンオープンの4大会を 1年間ですべて優勝する「年間グランドスラム」を達成した国枝慎吾選手。2004年のアテネパラリンピックではダブルスで金、 2008年の北京パラリンピックではシングルスで金メダルを獲得。今年4月に日本初のプロに転向した国枝選手に、 車いすテニスに対する熱い思いとともに、 「決してあきらめない!」という信念について語ってもらいました。 |
- 1984年生まれ。9歳のとき脊髄腫瘍により車いすでの生活に。 11歳より(財)吉田記念テニス研修センターにて車いすテニス を始める。17歳で現コーチの丸山弘道コーチの指導を受け始 め、本格的な海外ツアーを開始。2004年アテネパラリンピッ ク金メダル(ダブルス)、2007年史上初のグランドスラム(4大 大会制覇)達成、2008年北京パラリンピック金メダル(シング ル)など今年に入っても快進撃は続き、9月には全米オープン 連覇達成。向かうところ敵なしの活躍を続ける。2009年4月プ ロ選手に転向。現在、車いすテニス世界ランキング1位。
- コート内を縦横無尽に走り回る チェアワークで、ラリーが続く と観衆も手に汗を握る、スリリ ングな試合が展開される車いすテニス。ア テネに続いて、昨年の北京パラリンピック でも金メダルを獲得した国枝選手は、現在 世界ランキング第1位です。自他ともに認 める負けず嫌いで、どんな場面でも決して あきらめない強靭な精神力が強さの秘密。 「ぼくは子ども時代からずっと負けず嫌い で(笑)。世界を目指す人たちは誰もが負け ず嫌いですが、その中でもさらに負けず嫌 いじゃないと勝てないんですよ」。
- ●●● 手術と闘病を経て車いすテニスと出会う
国枝選手が車いす生活となったのは、小 学4年生のときに脊髄腫瘍の摘出手術を 受けてから。
「『体育や野球ができなくなっちゃうな』と思ったけれど、車いすになった からと落ち込んだり、自分の将来を悲観することはなかったです。これは友だちに恵 まれたおかげですね。放課後は友だちと遊び、『毎日が楽しくて仕方がない!』という 生活を送っていましたから」。
明るい性格で、クラスで目立つことが大好きだった国枝少年は、突然の車いす生活 をマイナスにとらえることもなく、活発で屈託のない少年時代を過ごしていました。 今では脊髄腫瘍の予後の心配もなく健康な国枝選手ですが、少年時代の話に続けて「人生は何が起こるかわからないですから、 『毎日を悔いなく生きていこう』と思っています」と付け加えます。
というのも、「あのときの病気は実はがんだった」と、中学3年のときにご両親から聞かされ、 「自分は今生きていて幸せだ」と、心から思ったからです。
すでに車いすテニスの楽しさに目覚めていたこともあり、「与えられた命なんだ。ど んなときもあきらめずに生きていこう」と考えるようになりました。
国枝選手が車いすテニスを始めたのは、地元のテニススクールで車いすテニスができるのを知ったのがきっかけでした。 「母にすすめられたものの、最初はあまり乗り気じゃなくて…。でも、ラリーが続くのを見た瞬間、 『自分もやってみたい!』と、胸が躍りました。やってみたら想像以上に楽しく て、徐々にはまっていきました」。初めて負ける悔しさを味わったのは、車 いすテニスを始めて1年目の中学1年生のときでした。
「1回戦で負けたのが悔しくて、そのときから練習に対する取り組み方 が変わりました。でも、負けはしたけれど、『試合って面白いな!』と目覚めた瞬間です。 ぼくは、根っから『勝負することが好き』なんでしょうね」。
初めての試合で感じたゾクゾクするような緊張感と高揚感は、試合のたびに今も変 わらずに感じているそう。「『緊張感に勝つ』ことは自分に勝つことでもあり、達成感が得られる瞬間なんです」。
- ●●● 徹底した練習を重ね、あきらめない心を持つことが大事
負けず嫌いで努力家の国枝選手の強さの源は、「その日その日の目的をしっかりと持った日々の練習」にあります。 「練習というのは時間より質が重要なので、『自分は今100%集中しているか?』と、常に自分に問いかけながら練習しています」。
一つの技を体に覚え込ませるためには、3万回の練習が必要だといいます。「やはり毎日の練習は自分を支えてくれる 糧ですね。あれだけ頑張って練習してきたじゃないか!絶対に勝つ!と、自分を信じることが武器になります」。
ときには苦しい試合になることもありますが、そんなときに気持ちを仕切り直す必殺アイテムが、ラケットに貼り付けた「オレは最強 だ!」という言葉。
「連続ポイントを取られると不安になりますが、『オレは最強だ!』の文字を見ると〈自信を持っている自分〉になれる。メンタル トレーニングを積むことによって、気持ちの切り替えができるようになりました」。
どんなに苦しい場面があったとしても「北京のパラリンピックを乗り越えるときのほうが苦しかった」という国枝選手。 「壁にぶち当たったり、一進一退を繰り返したときも『絶対に乗り越えられる!』と自分を信じれば、いい方向に行けると思うんで す。気持ちのうえでダメだと思ってしまうと結果にも影響するので、いい方向に進んでいくためにも、 〈プラスのイメージ〉を積み重ねることを大切にしています」。
そのプラスのイメージを育てる役割を果たしているのが、練習の反省点やチェックポイントを記録したテニス日記です。 「気づいたことを書きとめると、自分が今何をすべきかが見えてきて、自分自身と対話しながら練習することができます。それ に試合前に読み返すと、自分なりに成長していることが実感できるんですよ」。自分はこうして一つ一つ乗り越えてき た!と実感することも、「オレは最強だ
- ●●● 車いすテニスを 多くの人に知ってほしい
-
今年4月に日本で初のプロ車いすテニスプレイヤーに転向。それまでは大学職員と
しての収入が保証されていましたが、大学をやめた今では賞金やスポンサー契約を主
な収入源とする生活となりました。試合の結果がすべてである、厳しいプロの世界に
身を置くとことをあえて選んだのです。
「気持ち的に以前と違うのは、試合で〈勝つこと〉への執念ですね。 『自分は勝ちへの執念が世界で一番強い』と思っていましたが、もっと強くなりました(笑)。プロとして自 立するには自分を追い込んでいかないといけないし、今は勝ちに対する執念がプラスに作用していると思います」。
国枝選手がプロ転向を決意した理由には「車いすテニスを多くの人に知ってもらい、普及させたい」という願いもあります。 「そのために、今の自分に必要なのは勝ち続けること。勝ち続けることで車いすテニスを知ってもらうチャンスが増えるし、 『自分も大会に出場して、大観衆の前でプレイしたい!』と、車いすテニスを志す人たちが増 えてくれれば。そういう環境を作っていけたらなあと思っています」。
車いすテニスが普及して選手が増えれば、さらにいい試合が増え、それもまた車いす テニスを広めることにつながると考えているのです。
「ぼくが試合中に『幸せだなあ』と実感するのは、観客のみなさんから声援をもらった とき。自分のプレイの一つ一つに歓声が起きると力がわいてきて、選手にとってこん なに気持ちよいことはないですよ。『よし、もっといいプレイをしよう!』と励まされます。
今後はプロとして1年1年の成績を残すことも求められるので、グランドスラムで 勝ちながら、なおかつロンドンのパラリンピックで金メダルをとるのが目標です。常 に前向きに進んでいきたいですね」。