あとぴナビ/スペシャルインタビュー |
取材・文/大石久恵、撮影/橋詰芳房 |
PROFILE 1945年、秋田県生まれ。19歳の頃、独学で水中写真、潜水を始め る。以後、水中写真専門誌のカメラマンを経てフリーランスとなる。 水中写真の第一人者として高く評価されると同時に、環境問題など を伝える報道写真家としても知られる。講演・出版物・テレビ・ラジ オなど様々な媒体を通して、海の魅力と環境問題を訴え続けている。 |
- 海の中で繰り広げられる生き物たちのドラマに魅せられて40年あまり。 水中写真の第一人者として知られる中村さんが海の撮影に費やした時間は、およそ2万9800時間にものぼります。 世界各地の海で生き物たちの現在を記録し、写真を通して〈地球環境を守る大切さ〉を伝え続けている中村さんに、 水中写真との出会い、写真にかける思いなどについてお聞きしました。
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生き物たちの生命のゆりかごとな
る珊瑚礁、ユーモラスな表情の
魚たち――。
中村征夫さんは、弱肉強食の海の世界
で健気に生きる生き物たちを温かな目線
でとらえた作品で知られる写真家です。
水中写真家を志すまでは、カメラにさわっ
たことも、海に潜ったこともなかったと
いう中村さん。
「よく続けてこられたと我ながら不思議で す。海の中で懸命に生きる生き物たちに 魅かれて、ここまで来てしまったのかな
- ●●● 本当にやりたい仕事をずっと探し続けた
- 「僕がこの仕事をやろうと決めたのは19歳
のときです。〈水中写真〉と出会った瞬間、
体が震えるほど感動しました」。
高校卒業後、経済的に自立したい一心 で故郷の秋田から上京した中村さんは、 東京の電器店に就職。しかし、「自分はサ ラリーマンには向かないなあ」と1年で 退職。その後、酒店の御用聞きなど様々 な職を転々としながら、「一生かけて取り 組む仕事」を探し続けます。
「自転車に乗って御用聞きにまわっていて も、頭の片隅に常に霞がかかったような もやっとしたものがある。このもやもや はなんだろう? といつも自問していた」。 そして「やりたいことに出会うまで、 どんな仕事でも誠実に取り組もう。そうすれば、道はおのずと開けるはず」と、 もやもやが晴れる日をひたすら待ち続け たといいます。
そんなある日、休日にたまたま訪れた 海で、水中撮影をしていたダイバーたち に遭遇します。それはまさに運命の出会 いとなりました。
- ●●● 水中写真と出会い独学で修行に励む
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「全身真っ黒なウエットスーツ姿で、カメ ラをぶらさげている人たちをみて、何 やってるんだろうと思わず声をかけて しまいました」。
当時は、水中撮影はおろかダイビング も珍しかった時代。ダイバーたちの話を 聞いた中村さんの胸は高鳴ります。「魚の ように水中に潜って写真が撮れるのか?」 体がワナワナと震えていました。「おれが やりたかったのはこれだ!」と確信した 瞬間です。
翌日には、貯金をはたいて水中カメラ とウエットスーツを購入。それからは休 日のたびに1人で海に潜り、独学で水中写真を撮り続けました。 「写真の知識はほとんどなかったし、シュ ノーケルの使い方もわからず潜るときは 外してた~笑~。現像に出すと何も写って ない真っ白な写真ばかり。写真屋に光 が足りないと言われても、当時は露出 と絞りの関係も知らないから意味がわか らなかった」。
ゼロからの出発。失敗の連続。真っ白 い写真ばかりでも、がむしゃらに水中撮 影を続けて2年近くたったある日、中村 さんは感動的な光景に出くわします。 「3メートルほど潜って岩にしがみつき、 何気なく上を見上げたときだった。太陽 がキラキラと輝き、1匹の魚が頭上を通 り過ぎていく光景にハッとしました。 今、俺は魚よりも深く潜っている! と 感動してシャッターを押すと、1枚だけ 魚が写っていました。そのとき初めて光 が足りないという意味もわかってね」。 写真修業に励むうち、「もやっとしたも の」は、いつの間にか消えていたという 中村さん。その後も波乱万丈な曲面を何 度も乗り越え、現在に至っています。 「ここまで来れたのは、絶対にやりたい ことをみつけるという信念を捨てなかっ たおかげ。諦めなければ、必ずみつかる ものだと思いますよ」。
- ●●● 海の撮影を通して、生態系の変化を実感
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これまで世界中の海を撮影してきた中
村さんですが、リゾート開発などに伴い、
海の生態系が年々変化し続けていること
には危機感を感じています。
「地球環境を守るためにも、人間が〈自然 界の生態系〉を壊してはいけない!と、 多くの人たちに知ってもらう必要がある。 今や世界中の珊瑚礁が温暖化による白化 現象を引き起こし、危機的状況といえる けど、生態系に多大な影響を与えている のは、実は生活排水など人間が垂れ流す 汚染物質。これらがめぐりめぐって環境 汚染へとつながっているわけです」。
最近では、珊瑚の世界でも人間同様に ガンをはじめとした病気が流行り、赤ちゃ ん珊瑚が減少し、少子高齢化が進んでい ます。人間の生活が便利になればなるほ どに、生態系が侵されていくのです。 娘さんが乳幼児期にアトピーになった 経験も、中村さんが環境汚染について考 えるきっかけになりました。
「一度だけステロイドを塗ったらすぐにき れいになった。それが逆に怖くて薬はきっ ぱりやめました。その後は成長とともに 体が整い、すっかりよくなりました。あ のとき薬を使い続けなくてよかったと思 います」。
- ●●● 写真を通して伝えていきたいこと
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1993年、中村さんはロケ先の奥尻
島で大津波に襲われ、九死に一生を得る
経験をしています。
「あれ以来、写真を通じて地球環境を守る 大切さを伝えていくのが自分の使命。そ のために自分は生かされていると考える ようになりました」。
海はさまざまな顔を持っています。美 しいばかりでなく、牙をむくような恐ろ しい一面も持ち合わせていますが、海の 中では生き物たちの豊かなドラマが繰り 広げられています。
「油断したら食われてしまう食物連鎖の中 で、生き物たちは懸命に生きている。そ んな瞬間と対峙できるのが、この仕事の いちばんの魅力」。
魚たちは陸上の動物に比べて表情に乏 しいかもしれません。でも、海の中のド ラマを引き出し、その瞬間を伝えるため に、中村さんはこれまで培った予感や予 測などを総動員し、撮影し続けます。 「この魚はそのうちこっち向いてあくび するぞとかね。失敗も多いけど、魚と 騙し合いをして、一瞬のドラマが撮れた ときはうれしいね。百戦錬磨の自然界の つわものたちの裏をかいたぞ!ってね。 ぼくには未完のテーマがいくつもあり ます。独立したてのころから30年以上通っている東京湾の水中撮影も続けていきた いし、これからもずっと海に関わるテー マを追いかけていきたいですね」。