あとぴナビ/スペシャルインタビュー |
取材・文/平川友紀、撮影/橋詰芳房 |
PROFILE 1975年東京生まれ。本名は根津俊弘( ねづとしひろ)。東洋大学法学部卒。 友人とコンビを組み、浅草漫才協会に入会。コンビ解散後、2004年に木曽 さんちゅうと「W・コロン」を結成した。日頃から芸人仲間でなぞかけ遊びをし ていたところ、スピードワゴンのラジオ番組でなぞかけのうまさを取りあげられ、 漫才になぞかけを取り入れ始める。特技は柔道。趣味は野球観戦となぞかけ。 |
- 今年大ブレイクを果たしたWコロンのねづっちさん。「整いました!」の名フレーズから始まり 「ねづっちです!」と締められる即興なぞかけの絶妙さと驚異的なスピードとが大人気です。 社会現象とまでいわれている空前のなぞかけブームを巻き起こしたねづっちさんに、 大ブレイクまでの道のりと今後の目標についてお聞きしました。
-
見ているだけですっかり癒されて
しまう優しい笑顔と、トレード
マークの赤いタータンチェック
のジャケット。今や、みごとななぞかけ
を披露してくれるその姿を、テレビで見
ない日はほとんどありません。ねづっち
さんは現在3
5歳。芸人になってから十数
年の歳月を経ての大ブレイクとなりま
した。
- ●●● 友人に刺激されて昔の夢を思い出した
-
「最初に芸人になりたいと思ったのは中学 生のときでしたね。当時はよくありが ちな反抗期で、サラリーマンの父親を見 ていて、僕はもっと違った職業に就きた いと思ったんですね。今考えたら、親父 の道の方が正しかったと思うんですけど ね~(笑)」。
小学生の頃から古典落語や言葉遊び のような芸が好きで、毎週日曜日には「笑 点」(日本テレビ系)をかじりつくように 見ていたというねづっちさんが、芸人の 世界に足を踏み入れたのは大学生のとき でした。
「大学生になった頃、他の大学に行った同 級生がお笑いを始めたという話を聞いて、 僕も芸人になりたい気持ちがメラメラと 再燃してきたんです。それからは、いろ んな芸能プロダクションに電話をかけた り、お笑いライブのオーディションを受 けたりの日々でした」。
- ●●● 僕にとって芸人=漫才師
-
とにかく漫才がやりたくて、毎日漫才ができると
ころを探していたというねづっちさん。先輩に浅
草漫才協会を紹介してもらい、浅草演芸場にも出演できるよ
うになりました。
「なぞかけもそうですけど、リズム感のあ る芸が好きなんですよね。それも一人だ けのリズムより、二人で合わせる掛け合 いリズムのほうが楽しい。
だから漫才が好きだし、僕にとっては 芸人=漫才師なんですね。当時、漫才協 会には50~60組ぐらいの会員がいたんで すけど、若手はほんの数組で、内海桂子 師匠やおぼんこぼん師匠のように、よく 演芸番組に出る方や寄席の世界で長年頑 張っている大ベテランの人がたくさんい らっしゃいました。最初は、これはえらい ところに来ちゃったなと思いましたね」。
大先輩の中で揉まれながら、毎日寄席 の舞台に立ち、芸を磨く日々。最初に組 んだコンビは7年続きましたが、結局解 散。そして現在の相方、木曽さんちゅう さんを「浅草にくれば食っていける」と 「うまいこといって落とし」Wコロンを結 成しました。
「いや〜そんなに簡単に食えるわけがない ですよね(笑)。まんまと騙されてくれま した」。
- ●●● やめなければ万が一ってことがある
-
ほとんどの芸人がそうであるように、 ねづっちさんにも売れない下積み時代が 長くありました。
「先輩方には飲みに連れていってもらい、 芸人としての考え方をよく話して頂きま した。一番言われたのは"絶対にやめん な"ってことです。"やめたら売れるチャ ンスがゼロになる。でも続けていれば万 が一ってことがあるだろ"って。
本当にそうなんですよね。芸人が売れ るのなんて、万が一。だから、ここまで 食えないものかとは確かに思いましたけ ど(笑)、"つらい"とか"やめたい"と思っ たことはないですね。
僕のように、「うまいことを言う」芸風 でやっている若手芸人は、あまりいなかっ た。だから、そのうち本当に万が一があ るんじゃないかな? と思っていました」 古典落語のように、面白い言葉や言い 回しを巧みに使ってオチを作る「うまい ことを言う」芸風が、もしかしたら受け るんじゃないかと思っていたねづっちさ ん。この気持ちが「万が一」を信じられる 強さへと繋がったのかもしれません。
- ●●● 僕の本業はあくまで漫才師
-
「”整いました!”というフレーズは、ある
ラジオ番組でなぞかけに答えたときに何
気なく出た言葉。これを相方の木曽さん
ちゅうが”いける!”と思ったみたいです
(笑)」。
なんとかなる気がして芸人を続けてい るうちに、何気なく出てきた「整いまし た!」の名フレーズ。それから、なぞか けを漫才に取り入れるようになったのは、 自然な成り行きでした。
その後、ねづっちさんのなぞかけの早 さ、センスの良さはたちまち話題となり、全国的になぞかけブームが起こったのは みなさんもご存知のとおりです。
「でも今、これだけテレビに出させて頂い ているのは、正直異常だと思うんです。 今後は絶対に減るに決まってます!
僕、何年後かに自分がテレビで”なぞ かけやって~”って言われてる絵が、到 底思い浮かびませんもん(笑)!
でも、それはそんなに気にしていませ ん。なぞかけがたまたまピックアップさ れて、一時的にブームになっているけど、 なぞかけは本来は漫才の一部分。僕の本 業は、あくまで漫才師なんです。
なぞかけのおかげで少しは知名度も上 がったので、これをきっかけにこの先も 漫才を続けていければそれでいい。その 思いは、昔も今も変わりません」。
- ●●● 終わったことは気にしないで!
-
漫才を続けていくこと。それがねづっ
ちさんにとって、何よりも大切な「夢」で
した。これから先、たとえおじいちゃん
になっても「漫才だけは続けていきたい」
と力強く話します。
「目標という意味ではそれが一番。あとは 漫才を続けるためにも、いかに健康でい られるかですね。
芸人には通風が結構多いんですよ。み んなビールの飲みすぎかもね。だから僕 は、プリン体を摂り過ぎないように、な るべくホッピー飲んでます(笑)
気持ちの面では、終わったことは、あん まり気にしないこと。過去は変えられない ですからね。過ぎちゃったことはしょうが ないと思ったほうが体にいいはずです」。
テレビと同じ、終始にこやかな笑顔の ねづっちさん。それでも大きな野望は持っ ているようで⋮。
「なぞかけは、頭の体操でボケ防止にな るって言われてるでしょ。だから、これか らの高齢化社会に向けて、なぞかけを老 人福祉にも生かせるような、そういう番 組を作れたらいいなと目論んでいます!」
ぜひ、実現してもらいたいですね! 最後にあとぴナビ読者のために、なぞか けをひとつ披露してくれました。お題は 「健康」です。