あとぴナビ/スペシャルインタビュー |
取材・文/柿原恒介 、撮影/橋詰芳房 |
PROFILE 1964年ベナン共和国ダサズメ市生まれ。 87年ベナン国立大学卒業。87年中国・北京語文化大学へ留学。93年同校で修士学位を取得、94年来日。96年上智大学大学院に研究生入学。99年同大学院博士過程後期試験合格。2001年世界最優秀青年賞(国際青年会議所JCI)。02年国民栄誉賞(ベナン共和国)。 現在、ベナン共和国大統領特別顧問。ヨルバ語、フォン語、フランス語、英語、中国語、日本語を操る。著書に『ゾマホンのほん』、『ゾマホン、大いに泣く』(いずれも河出書房新社)など。オフィス北野所属。「2代目そのまんま東」は北野武さんが命名した芸名。 |
- アフリカ・ベナン共和国。この国の存在を日本に知らしめたのは、ゾマホンさんをおいて他にいません。
ときには口角泡を飛ばしながら大演説を、ときに赤面しながらジョークを言う。
常に感情豊かに意見を伝えるゾマホンさんの来日の目的とはなんだったのか。 そして、彼が我々日本人に伝えたいこととは?
- タレント:2代目そのまんま東(ゾマホン・ルフィン)
- ■どんな人にも苦悩はある。負けずに頑張り続ければ、将来はきっと良くなるヨ。
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98年~02年まで続いた人気討論バラエティ番組『ここがヘンだよ日本人』(TBS)で、最もエキサイティングかつシリアスに議論をし、一躍有名となったゾマホンさん。当時、彼はベナン人初の日本留学生(上智大学大学院生)でした。来日の理由は、「地下資源の乏しい日本が、なぜ経済発展を遂げられたのか?」という疑問を知るため。留学で得た経験と知識を持ち帰り、祖国を発展させたいと願っていました。
しかし、自費留学のため苦しい留学生活を送りました。アルバイトをかけもちしながら通学、毎日の睡眠時間は3?4時間。食事は白米とタマネギの塩炒め。そんな切り詰めた生活の中でも、「祖国のために」と少しずつ貯金をしたのです。そこで偶然舞い降りたのが、テレビ出演のオファーでした。
「テレビがきっかけでベナンという国が知られるようになった。うれしかったね。これで母国に協力ができると思ったね」。
テレビ出演以降、収入はアップしたものの、贅沢は一切禁止。風呂なし3万8千円のアパートに住み続け、ついに150万円の貯金を達成しました。その貯金でベナン北部の貧困地域、コロボロル村に井戸を掘ることを決意したのです。
- ■ 国の発展を支えるのは、教育、そして歴史文化です
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「日本に来て、経済発展した理由が分かったよ。それは教育。日本の識字率はほぼ100%。これ、すごいことね。ベナンは公用語のフランス語の識字率が約35%しかない。まずは初等教育を普及させないといけない。ベナンには、15km以上も歩いて学校に通っている子ども達がいっぱいいる。その苦しみを減らすために、私はもっと多くの学校を作りたかった。でも、学校を建てるにはまず井戸が必要。みんな早朝から遠くの川の水を汲みに行くの。川の水を飲むと、体にばい菌が入る。寄生虫が体の皮膚を突き破って出てくる。昔、私の足からも出たよ。いまでも傷が残っている。
これは井戸を掘る方が先決となったわけです」。井戸を掘れば、周囲の村民も含め、約10万人もの人々の生活が楽になります。ゾマホンさんは、貯金全額を投資し、水源の採掘に成功しました。井戸の水が出た次の日、草原が広がる学校建設予定地に、北野武さんへの感謝の気持ちを表して”たけし小学校”と書かれた赤い看板を立てました。
さらにゾマホンさんは、夢の小学校建設を目指し、『ゾマホンのほん』を出版。印税の全てをベナンの学校設立の寄付金とすると宣言されたこの本は、24万部の売上を記録。寄付金額は2400万円にものぼりました。
「おかげさまで江戸小学校、明治小学校を作った。これから大正小学校と昭和小学校を作る。井戸は今年だけで3本掘りました。でもね、番組が終わったら一気に人々がゾマホンのことを忘れてしまって、私はまた生活が大変になったの。そうしたら、武さんが付き人として雇ってくれた。ありがたいね。おかげで私は活動を続けられる」。ゾマホンさんは03年には、念願のたけし日本語学校を設立。そこでは日本語と日本の歴史、事業が教えられ、日本語をマスターした人は奨学金を得て、日本への留学が可能となります。現在までに17人の学生が、日本の各大学に留学しました。
- ■ あなた方ひとり一人の力が、国の力になるんですよ!
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これまで小学校名に日本の元号を冠したのは、自国の歴史を大切にしてきた日本を見習うため。民族文化を重んじることが、国際社会で活躍する前提条件だと言います。「でも、今の若い日本人はもったいないなって思います。食べ物は西洋化しているし、着物や袴は誰も着ていない。電車に乗ったらHなポスターが吊るされている。これは大人社会とはいえません! あなた今日、納豆食べた? 私は納豆を毎日食べるよ。日本の文化が変わったら、日本の未来は暗いですよ。私たちベナン人は、過去フランスに占領されて、その怖さを実感しているんだから。ベナンにも、日本と同じように古い文化があります。ベナンも国民の意識を変えることが大事。フランスの植民地政策で、独立した今も教育内容はフランスのことばかり。裕福な人はみんな言葉が通じるフランスに行きたがる。このままだとベナンには、貧乏な人しか残らない。ベナンだけじゃない。昔から裕福なアフリカ人は、欧州へ留学していた。日本へ行くなんて天国にいくより難しいことでした。日本大使館もなかったし、日本に保証人がいないと来日も不可能。だから私は、日本にベナン領事館もつくったの」。
ゾマホンさんは、特権階級で育ったわけではありません。15才で父を亡くし、学生時代は1本の鉛筆を買うお金にも苦労しながら、ひたすら勉学に勤しみ、日本への留学を叶えました。全ては日本の経済発展の仕組みを知るため。そして、礼儀を重んじる日本の文化を知るためでした。
「”おかげさまで”。”よろしくお願いいたします”。とてもいい言葉。この考え方は、集団主義ね。欧米は個人主義文化でしょ。相手のことを先に考える日本の文化は、ベナンの文化にも通じます。でも、多くのアフリカ人は、日本の製品しか知らない。本当は日本の文化も知ってほしいんです」。ゾマホンさんの夢の活動は、学校建設のみに終わりません。彼の大目標は、両国の間に、深い文化交流を確立することです「日本とベナンの文化交流に基づいて、外交、政治、経済関係も強めていきたい。大変かって? ぜんぜん大丈夫。頑張っているのは、私だけじゃない。みんな病気やケガに負けず、頑張っている。人生は甘くないね。読者のみなさん、あなたは日本の柱です。この世に、大事でない人はいない。必ず何かの役に立てる。それをわからないとだめですヨ! 私はこれからもベナンと日本の架け橋となって働き続けるよ!」。