アトピー克服体験記 |
- 笠原 雅志さん(20歳)
クロレラ、シジュウム、ヨーグルトキノコ……。 薬による治療と並行して、 さまざまな民間療法を試みた笠原雅志さん。 期待は空振りに終わり、 最後に残された克服法が自宅温泉湯治でした。 「だまされるかもしれない」――。 そんな不安がない交ぜになったスタートから3年2ヵ月。 最後まで諦めなかったからこそ今日があり、 薬もアトピーもない明日があります。 |
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笠原 雅志さん(20歳) | |
薬を断つと日に日に離脱が強まった。額や髪の生え際に沿って炎症が強く、滲出液がにじみ出している。首周りや背中、関節部分のかゆみも強い。 |
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- 苦痛だった。顔から頭からジュクジュクと膿のようなものが垂れてくる。刈り込んだ坊主頭にタオルをかぶって、1日中じっとしているのがやっと。こうしているうちにも、友達はみんな、どんどん好きな道に進んでいく。何で、オレだけが……。
雅志さんが、そんな焦燥感に苦しんだのは自宅温泉湯治を始めた頃。高校を卒業して専門学校に進学した年の秋です。中3から塗り続けてきた薬をやめると、 激しい離脱症状が噴き出し、家から一歩も出られない状態に。休学そして退学を余儀なくされたことは、これまでの人生で最大の挫折でした。
「体もきつかったけど、精神的なものがいちばん大きかったですね。気分が悪くて、人と話す気にもならなかった」と、3年前を思い出す雅志さん。克服の出口は見えず、将来の進路も見失った真暗闇。自分の前には2度と道が開けないような気がしたといいます。
- 中3でアトピー発症 原因は何だったのか
- 始まりは中学3年の春。首の後ろに軽いかゆみを感じたのが最初でした。赤ちゃんのとき一時的に乳児湿疹が出たほかには、皮膚病とは無縁に成長。食物アレルギーもアトピーも知らなかった雅志さんが、皮膚科へ通院するようになりました。
「今思えば、原因は生活の乱れですね。夜遅くまで起きてて、朝は学校へ行くために早く起きる。睡眠不足が引きがねになってかゆみが出たんだと思います。それと、薬をかなり塗りました。だんだんやめられなくなって、いつの間にか全身に広がったっていうか」(雅志さん)
病気は病院で治してもらうもの。当時はご両親も雅志さんも、そう信じて疑わなかったといいます。顔、体、かゆみが強い部分用に分けて3種類出される軟膏が何なのか、尋ねることもしませんでした。
「かゆいって言えば『薬を出しておくから』ってそれだけでした。塗って治まっても、またすぐにぶり返してっていう感じで、高校3年間はずっと」かばんには必ず軟膏のチューブを入れて通学。並行して内服薬を飲み、注射を打ちに毎週病院に通うなど、まさに薬漬けの生活です。
- 薬に頼りながら自然治癒を待つ
- 「お医者さんが、『アトピーは成長とともに治る』って言ってましたから、薬を塗りながらそれを待っていた感じなんですけどね」というのは母親の笠原洋子さん。薬のおかげで見た目の症状は抑えられていましたが、そのため逆に苦労した部分もあったようです。
「サボってんじゃないか」「大丈夫そうじゃないか」。そんな声が聞こえるため、プール授業以外の体育は意地でも出席。髪型をしばる校則はなかったのですが、毛先が皮膚を刺激しないよう短く刈り込むしかありませんでした。
「部活は陸上の長距離をやろうと思ってたんですけど、汗かくとじっとしていられないほどかゆいから無理。もう勉強どころじゃなくて、病気に振り回された考え方しかできなかったです。とにかく学校に行くだけで精一杯でした」
「高校だけは卒業しなきゃいけねぇ」――。口癖のように唱えながら学校に通う雅志さんを、ご両親も必死で応援します。病院の治療以外にも、これはと思った 民間療法を次々と。高価なクロレラを1年以上飲み続け、シジュウムを煮出して飲用したりお風呂に入れたり。ヨーグルトキノコも1年半続けましたが、手応え はありません。
「子どもの将来がかかってますから、お金なんかかかったって、治してやらなきゃと思うからね。いろいろやってみたわけですよ。皮膚科も4軒換えたけど、どこも同じでしたね」と父親の笠原英夫さん。すでに、病院の治療に対する信頼は揺らいでいました。