アトピー克服体験記 |
- 大阪府藤井寺市:松浦秀幸さん(36歳)
取材・文/名原和見:撮影/藤泰相 |
学生時代は小康状態だったアトピーですが、就職後、思いもよらぬほど悪化。社会人ならではの人間関係と、夜勤のある不規則な生活から不眠に悩まされていたといいます。 睡眠時間の減少に比例するように、さらに状態が悪くなるアトピーの症状。しばらく休職して復帰を志すもリバウンドを起こし、余儀なく再び休職することに。 このとき、本気でアトピー克服と向き合ったという松浦秀幸さん。今回は成人男性ならではの心の葛藤、仕事とアトピーについて語っていただきました。 |
|
大阪府藤井寺市 松浦秀幸さん(36歳) |
|
-
小学生の頃からアトピーを発症して、ステロイドを使用。高校生になる頃には、薬は手放せない状態に。
さらに、社会人になって交代&夜勤業務の職種に就くと、症状は悪化して全身にまでおよぶ。
その後、偶然に知ったオムバスに駆け込み、温泉湯治をスタートする。
職場復帰後、一度リバウンドを起こしたが、再度本気でアトピーと向き合い、見事に克服した。
- ■あまりにつらい記憶は忘れてしまうもの
-
「いろんな薬を塗ってもよくはならんし、いい先生がいると聞いて診てもらっても、結局のところは元の木阿弥。僕はこのままずっと、アトピーとつきあっていくのかな?」。
松浦さんがこう思ってしまったのも無理はありません。このとき、すでに13年という月日が流れていたのですから。
- 松浦さんのアトピーの発症は、小学校の低学年のとき。初夏になるとひじやひざの裏に汗疹(あせも)のようなものができていたそうです。もともと皮膚は丈夫ではなかったのでしょう。しかし、海水に浸かると症状は落ち着くことから、その頃はよく海に行っていたそうです。
中学生になると、顔に炎症が出てきました。ちょうど多感な思春期のころだったこともあり、この頃のことはあまりよく覚えていないと松浦さん。「でも、当時の写真を見てみると、特に目の回りが赤いんですよね」と、重い口をあけて話してくれました。高校生になると、顔、ひじ、ひざの症状が消えず、もはや薬は手放せない状況に。「気になったらその都度、薬を塗っている状態でした。この頃はただひたすらに野球に集中して、自分がアトピーだということをごまかしていたようにも思います」。
その後、薬で症状を抑えながら、 浪人、アルバイトを経て22歳のとき。松浦さんは昔からの夢だった、鉄道に関わる仕事に就くことができたのです。とはいえ、実はここからがアトピーとの本格的な闘いでした。というのも、アトピー悪化に拍車をかける不眠に悩まされることになったからです。
「今思えば、ストレスによる不眠でした。僕は小中学生で剣道、高校で軟式野球をやってきたこともあり、どちらかといえば体育会系。職場でも先輩、後輩といった体育会系の上下関係を考えていたのですが、社会ではいろんな人がいる分、もっと複雑で、それが通じませんでした」。
入社後、松浦さんは誰にも言えず、一人でさまざまな思いを抱え込み、すぐに不眠に陥りました。「なんで眠れんのやろう?」。ストレスの原因も自覚しないまま、布団の中では羊の数を数えてみたり。そのまま朝を迎えた日も何度あったことでしょう。これにともなって、アトピー症状は激化。顔はもちろん、関節部分、上半身は浸出液があふれ出ているほどで、Tシャツにひっついた皮膚をバリバリいわせながら脱ぐのもひと苦労だったそうです。当然、一刻も早くこの状態を脱したいと願う松浦さんは、名医と呼ばれる病院という病院に駆け込みます。しかし、状態は一向に改善せず。そして、思うのです。「僕のアトピーこのままずっと続くんやろうか?」と。