アトピー克服体験記 |
- 栗原雅子さん(28歳)
今回ご紹介するのは、イラストレー ターとして活躍されている栗原雅子 さんのアトピー克服への道程です。 自宅温泉湯治を始めた6年前はまだ プロではなかった雅子さん。離脱を 経て、湿疹が手から退き始め、「こ れでやっと大好きな絵が描ける!」、 そのうれしさと情熱に衝き動かされ るように描いた作品がコンテストで 入賞! 賞をとったことがプロへの 道を切り拓いたのでした。目標に向 かう人の強さと美しさ。治っていく ためには“活力・源”を持つことが いかに大切か、雅子さんのお話から その大きなメッセージが発せられて います。 乳児湿疹からアトピーへ。顔と体に症状が出る。 小学生の頃以降大学までは手指にのみ水泡が出 て、ステロイドを用い続ける。激務などの無理 な生活が引き金となり、23歳(2002年)で大 きく体調を崩し、アトピーが全身に出現。自宅 温泉湯治開始へ。最悪な状態を1年強で脱し、 残る症状を抱えながらも前向きに活動期へ突 入。2006年終盤には表面的な症状はほぼ消え、 |
|
茨城県 栗原雅子さん(28歳) |
|
- あとぴナビWebでブログ「Spicaのキラキラ湯治LIFE」を綴っていらっしゃるのが栗原雅子 さん
http://www.ombas.com/report/spica/
「上の子の涙は、私がいっぱ い流した涙なんですよ」と、に こやかに説明してくださる雅子 さん。おや、その下には湯治に 励んでいるのでしょうか、バス タブにつかっている子もいます。上の天使の左側には「涙を拭くハ ンカチ」をそっと渡そうとしているキ ャラクターも描かれて…。どうやら 「湯治」がモチーフのよう。描かれたそ の当時は、手指1本1本に巻いた包帯 がやっと取れ、久しぶりに絵筆を手に する喜びを全身で感じていた頃だった そうです。
「手以外のいたるところにまだまだ症 状が残っていましたが、この段階で克 服できる確信をすでにつかまれていた ようでした」と、湯治開始以来、ずっ と雅子さんを見守ってきた西浩太郎相 談員(日本オムバス神奈川)は振り返 ります。
- 覚悟した薬断ちしかし…
-
雅子さんには生後間もなくから乳児
湿疹が出ていました。月齢を重ねるご
とに赤みは次第にきつくなっていき、
皮膚科では、顔用、体用と分けて塗り
薬が処方されました。
「すごく効いちゃう薬」と、お母さ ま・裕美子さんがビックリされた薬の 正体はもちろんステロイド。何日間は ものすごく効くのに、いつ しかまた同じように症状が 出てくるため、そのたびに 繰り返し塗っています。
そうこうしながら小学生 になった雅子さん。その頃 になると手指だけに症状が 限られていたそうで、「水泡 ができる」ことに悩まされ ていたようです。といって もひどいのは梅雨の時期だ け。そんな状態がその後何年も続いていきます。
大量に溜め込んでいる感覚ではない ものの、ステロイドとは縁が切れるこ とはなく、長い付き合いに。そう習慣 化していた大学生の頃、本屋さんで雑 誌「アトピーを治したい!」(日本ヴォ ーグ社刊)のタイトルに目を奪われた 雅子さんは、手に取り、ページをめく ります。そこには、ステロイドがどう いう薬剤であるかが詳細に載っていま した。
「ずっと使ってきた薬、そんなに依存 してこなかったように思えて、年数は かなり使い続けた。ステロイドは止めよう。」そう一念発起して、薬とは縁を 断ちます。リバウンドを恐れたものの、 その波は襲い掛かってくる気配すらあ りませんでした。
雅子さんには別に大きな気掛かりが ありました。それは、妹の春子さんに は子どもの頃からアトピー症状が自分 よりもっと顕著に現れていたため、妹 こそ、ステロイドのダメージを大きく 受けてしまっているだろうということ。
どう切り出そうか心を痛めながら、 買ってきた「アトピーを治したい!」 を見せた雅子さん。春子さんのショッ クは計り知れませんが、自ら、これか らは薬ではなく、「自宅温泉湯治」の手 法を選ぶと決定したそうです。それが 2000年のことでした。
妹さんが湯治を始めたこと で、栗原家のお風呂は「源泉」 がたっぷり入ったものに。長 くじっくり入る湯治スタイル は春子さんだけが実践してい くようになりました。「もと もとは私自身が湯治を始める 覚悟でいたのですが、薬を止 めても私にはそのとき離脱が 訪れませんでしたからね」。