アトピー克服体験記 |
- 飯山典子さん(35歳)すみれちゃん(2歳)
自身のアトピー克服後に、長女を出産。いつも何かを訴えるように泣くわが子にどう接 したらいいのかを悩んだ典子さん。長女はその後すぐに全身に真っ赤なアトピーを噴き 出し、アトピーとの闘いも必要になりました。 自分と子どものアトピーの克服、子どもとの関わり、自分の心・人の心との向き合い方 を考えていく中で、出会った人たちや事象との「縁」はすべて必然だったよう。いま、 穏やかに美しく、そして大きく笑える日々が典子さんをゆっくりやさしく包んでいます。 典子さんの取材は、取材スタッフにとっても心ほどけるやさしい時間になりました。 中学からステロイドを使用。大学生になった頃には薬が効かなくなり、ステロイドを断つ。整体、自然食品摂取などを経て 脱ステロイドから10 年後に自宅温泉湯治を開始。3 年で自身の症状は退いたが、続けて長女すみれちゃんの全身症状を湯治で退かせた。 |
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飯山典子さん(35歳) すみれちゃん(2歳) |
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飯山典子さんの場合は、ステロイドを
断って10年後にオムバスに辿り着きまし
た。
薬を断ちさえすれば、いっときは苦し くても、あとは時間を経るほどにアトピー の症状は徐々に消えていく、楽になるの では?と思う方も多いでしょう。
10年もの歳月があれば、薬によるダメー ジは大部分消えているはずなのに、どう してここまで長い間、典子さんを苦しま せることになってしまったのでしょう?
精神的に、肉体的に、負荷がかかり過 ぎたとき、人は調子を崩します。「スト レスが胃に来て」という人は「胃腸」が、 典子さんやみなさんがそうであるように、 「肌」が弱い人も多くいます。
肌表面の治し方にとどまらず、本当の アトピー克服を考えるには、心のほぐし 方がどれだけ大切か・・・。典子さんのお話 からみなさんの心がほどけていきますよ うに。
- やりたいことに全力投球力の抜き方がわからない
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子どもの頃は冬場に関節あたりの皮膚
がカサつく程度だったという典子さん。
困ったときに、困った部分だけに薬を使っ
ていたそうです。
顔にもアトピーが出てきたのが中学に 入る頃。ステロイドの含有量が違ってい るのでしょうが、手用、顔用、ひどいと き用といった分け方で出された薬を頻繁 に塗るようになっていきました。「お医者 さんの、『14歳くらいになると75%はアト ピーが治る』との説明を鵜呑みにしまし た」。こうした医師の言葉を疑う患者は まずいないでしょう。
高校では剣道で汗を流し、アトピーで 困ることもなく過ごせたそうですが、大 学生となり、典子さんの顔は次第に真っ 赤になっていきました。
「体に酷なことをしだしたんです。通学 に片道2時間かかるのに、バンドのサー クルに入り、芝居も始めました」。芝居の 稽古は夜。寝る間も惜しんで突き進む典 子さんでしたが、「疲れは感じていなかっ た」のだそうです。
体感できてはないものの、顔から退か なくなった赤みは、負荷のかかり過ぎを 警告していたよう。薬を続けているのに、 それで症状が抑えられない謎に突き当 たっていた頃、親戚の叔母さんも典子さ んの状態を心配し、整体を勧めてくれた そうです。
「整体の先生は今でも信頼しているいい 先生。まずそこで言われたのが『ステロ イドをやめなさい』でした。窮屈な服で 体をしめつけるのもよくない。そして、 飲み水はいいものにしなさいとも言われ ました」
脱ステロイドをする他のアトピー患者 さんも多くそこを訪れていて、施術する ベッドが膿だらけになるというシーンも 珍しくなかったのだとか。典子さんも離 脱を抜け切れば後はよくなる!との覚悟 と期待で薬を断ちました。
学生生活ではあれもしたいこれもした いと、あり余るエネルギーがあふれてい たその頃の典子さんを言い得たのは、演 劇の座長さんの「もっと楽に芝居をしろ」 との言葉です。
「がんばり過ぎる芝居って観る人に圧迫 感を与えるんですよね。でも、楽にやるっ てどうしたらいいの? 楽って何?と、 私にはわかりませんでした」
大学もやりたいこともすべてにおいて 全力投球。そこに整体通いも加わって、 離脱だって全力で受けて立つ!と気合が 入っていた典子さんでしたが、ステロイ ドの離脱症状は特にハッキリやってくる わけではなかったとのこと。
そこからは、「これを飲んでみて」「そ れがダメならこちらで毒出しを」と、整 体の先生から勧められる自然食品を次々 試すものの、状態の劇的な変化が訪れる ことはなく、芝居の公演が近づいたりす ると、ストレスがかかるほどに症状も出 てきてしまったようです。こんなに必死 でがんばっているのに、もう1段階上に 行けない。どうもっとがんばればいいんだろう。 その答え探しさえも全力投球でした。